刑法の基本書とかいろいろブログ

刑法好きの学生が,基本書を紹介したり,刑法に関連する話題を扱ったりします。

不真正不作為犯の論証について

こんにちは。ブログでは基本書紹介をしますと言ったはなから,違うことをします(笑)。今回は不真正不作為犯の論証についてです。

(追記: この記事については,こねこねこさんがコメントしてくださったので,ぜひ参照していただければと思います。時間がない方は,本記事の問題提起まで読んだ後にコメントの方を参照していただくのもよいかと思います。

あえて記事はそのまま残しておきたいと思いますが,今の僕は(本記事を書いたときとは正反対に),こねこねこさんのおっしゃるように論証の保障機能に関する部分は必要なものだと考えます。こねこねこさん,ありがとうございました!)

1 前提

不真正不作為犯について,予備校本や合格者答案をみると次のような論証があります。

「実行行為とは,構成要件的結果発生の現実的危険性を有する行為である。そして,不作為によってもかかる危険を発生させることは可能である。もっとも,不作為は理論上無限に存在することから,あらゆる不作為に対して実行行為性を認めることは自由保障機能を害する。したがって,不作為が作為と同価値といえる場合,すなわち,①作為義務があり,②期待された行為を行うことが可能かつ容易であるにもかかわらず,期待された行為を行わなかった場合には不真正不作為犯の実行行為性が認められるものと解する。」(『平成26年司法試験論文過去問答案パーフェクトぶんせき本』(辰巳法律研究所,2015年)449頁)

長いですね(笑)。これはある年の司法試験の再現答案ですが,ほかの再現答案や予備校本でもおおむね同様の記述がなされています。しかし,僕はこの論証について疑問があるのです。

2 何が問題か

それは,「不作為は理論上無限に存在することから,あらゆる不作為に対して実行行為性を認めることは自由保障機能を害する」の部分です。この論証はなぜ実行行為概念があるのか(もっとも山口先生はこの概念について「ブラック・ボックス」と評されていますが)を忘れているように思うのです。実行行為性を問題にすれば,自由保障機能が害されることはありません。

この点について,今日は検討したいと思います。

3 実行行為とは何か

実行行為について,ある体系書はつぎのように述べています。

「行為者は,その行為によって構成要件的結果を惹起することが必要であるが,構成要件該当性を肯定するためには,構成要件的結果への因果関係の起点となる行為は無限定ではなく,構成要件的結果を惹起する客観的な危険性が認められる行為でなければならない。この因果関係の起点となる行為を,一般に,実行行為という。」(山口厚『刑法総論[第2版]』(有斐閣,2007)50頁)(強調引用者)

この記述からすでにわかるように,実行行為(構成要件的行為)概念は問題となる行為を限定する役割を果たしているのです。これは罪刑法定主義の要請ですが,罪刑法定主義の根拠は今回問題となっている自由保障機能です。まとめるならば,次のような関係になります。

保障機能→罪刑法定主義→構成要件→実行行為

実行行為概念が保障機能の下位概念である以上,上の論証のいう「あらゆる不作為に対して実行行為性を認めること」は土台無理な話です。上の論証は不作為について論じるふりをして,実のところ実行行為について論じているのです。

簡略化すると,

実行行為とは何か→不作為も実行行為になりうる→保障機能→作為同価値性→同価値性の判断方法

というふうになります。論証の途中に上位概念が挟まることで論理関係がおかしくなってるんですね。

4 じゃあどうしたらいいのよ

では,どのように論証すべきなのでしょうか(もちろん法学である以上論証も人それぞれであることは承知しています。いま考えているのは,上の論証をどう再構築するかです)。

上の論証は何をいいたいのか。それはおそらく「不作為も実行行為となりうるんだけど実行行為性はどう判断するのかな」ということでしょう。この論証の目指すところは同価値性の判断方法を示すことにありますから,整理するとこうなります。

実行行為とは何か→不作為も実行行為になりうる→→作為同価値性→判断方法

「?」のところにしっくりくる理由付けを考えれば,より説得的な論証になるでしょう。

5 なぜ作為との同価値性(同視可能性)が必要なのか

それでは,なぜ作為同価値性なるものが必要とされるのでしょうか。その理由は,そもそも実行行為とは問題となる行為を限定する役割を担うところ,刑法が問題となる不作為を明示してくれないので,どうやって不作為の実行行為性を肯定すればよいのか(=どうやって問題となる不作為を限定すればよいのか)がよくわからない点にあります。

そこで,刑法が明文で定めている作為と同じであれば,実行行為性も認められるんじゃね?という発想となり,同価値性が要求されるのです。「不真正不作為犯について刑法は実行行為となる作為しか示していないが,不作為であってもかかる作為と同視しうるときは実行行為性が認められる」とかいうふうに解しておけばいいんじゃないでしょうか。

6 まとめ

まとめると次のような論証となります。

「実行行為とは,構成要件的結果を惹起する客観的な危険性が認められる行為をいい,不作為による構成要件実現もありうる。不真正不作為犯について刑法は実行行為となる作為しか示していないが,不作為であってもかかる作為と同視しうるときは実行行為性が認められると解する。同視可能性は,①作為義務と②作為可能性・容易性が認められるときに肯定される。」

ちょっと長いですね。本当はもう少しコンパクトにまとめたいものです。

これは個人的な感想ですが,論証の際に罪刑法定主義のような上位概念を明示的にせよ黙示的にせよ示すのはお勧めできません。上位の概念であればあるほど議論が飛躍する蓋然性が高まってしまうからです。

7 なお念のため

ちなみに,同価値性の判断基準ですが,なぜ①作為義務と②作為可能性・容易性が要求されるのでしょうか。

まず,①作為義務が要求される理由について。不作為犯は「期待された行為をしない」ことを罰するわけですから,「一定の作為をあえて要求しうる根拠・条件の存在」が必要となります(前掲・山口75頁)。

次に,②作為可能性・容易性について。作為義務を課すからには前提として作為に出ることができないとフェアじゃありません。そこで作為可能性が要求されます。そして,可能性があったとしても,あんまり難しいことは要求できないなあということで作為の容易性も要求されるわけです。もっとも,難しいことを要求してもいいかどうかはケース・バイ・ケースですから,作為義務の重さによって要求される容易性は変化します。

以上,「不作為犯の論証について」でした。

 

今回はすこし注文を付けるかたちとなりましたが(笑),上位答案は大変参考になります。再現答案集として最もおすすめなのは,記事で引用した辰巳のぶんせき本です。答案の書き方で迷っているという方はぜひ。

司法試験論文過去問答案パーフェクトぶんせき本〈平成26年〉

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